『Newスーパーマリオブラザーズ』の基本データ
ニンテンドーDSの『Newスーパーマリオブラザーズ』を、久しぶりに起動した。レビューを書くつもりで触りはじめたのだが、途中から性質が変わってきた。これは当時の自分がつけた点数の、答え合わせである。
| 発売日 | 2006年5月25日 |
| メーカー | 任天堂 |
| 機種 | ニンテンドーDS |
| ジャンル | 横スクロールアクション |
| 当時価格 | 4,800円 |
久々に出た新作の2Dマリオである。8つのワールドに各10コース前後。上画面でマリオを走らせ、下画面にはスコアと進み具合、それにパワーアップアイテムのストックが1つ置ける。ストックはタッチで使う。赤い旗の隠しゴールを見つけると通常とは別のルートに進める仕掛けもあり、2人対戦の「マリオVSルイージ」はダウンロードプレイに対応していて、ソフトが片方にしかなくても遊べた。
2画面は、すごい。当時の私はそう言っていた。
言っていたのだが、20年ぶりに同じソフトを持ち直してみて、白状しなければならないことがある。あのとき私は、すごいという結論を先に置いて、あとから理由を探しに行っていた。探して、見つけて、自分で自分を納得させた。世間はタッチパネルの話ばかりしていたから、2画面のほうは自分が褒めてやらねばならん、というような顔をしていた気がする。誰にも頼まれていないのに。
褒める理由を、探していた
4800円だった。この金額を、当時の私は「ぱっと買って試す」の側に置いていた。いまの感覚だと十分に高いのだが、あの頃の携帯ゲームというのはそういう温度で、面白そうなら買って、面白くなければそれはそれ、で済ませていた。財布の中身が豊かだったわけではない。買うことに理屈をつける習慣が、まだなかっただけである。
そして起動して、素直に驚いた。携帯ゲーム機で、マリオが立体で動いている。全体が3Dで描かれていながら、奥行きの概念はない。横スクロールのまま、キャラクターだけが丸みを持って走る。この折衷が、手のひらの中で成立していた。抵抗はまったくなかった。むしろ嬉しかった。この形のマリオがまた出てきてくれたことが、単純に嬉しかった。
ただ、走らせて数分で、指のほうが先に何かを言った。ふわふわする。
私の体には、スーパーファミコンのマリオの挙動が基準として入っている。走り出しの重さも、跳んだあとの落ち方も、あれが物差しになっている。その物差しを当てると、こちらのマリオは明らかに浮いている。跳んでから落ちはじめるまでに、ひと呼吸ぶんの間がある。その浮遊感が、指のところで「ふわふわする」に変換されて出てきたのだと思う。慣れた。慣れたが、納得したのとは少し違う。
それでも文句を言わなかったのは、地下ステージのおかげである。正解の土管をわざと通り過ぎて、奥にもう1本ある。あの構造を見つけた瞬間に、ああマリオだ、と思った。マリオにはこれがなければいけない。正しい道の少し先に、もう1つの道が隠れている。そういう作りをちゃんと持ってきてくれた時点で、私はもう味方だった。
味方になった人間は、褒める材料を探しはじめる。2画面についての私の評価は、たぶんここから曲がった。
指は覚えていた。目は、下を見ていなかった
20年ぶりに触って、まず確認できたことがある。マリオは、体が処理する。頭ではない。ブロックの角の抜け方も、敵の踏み方も、勝手に手が済ませていく。難易度でいえば、後半に多少歯ごたえのあるコースを置いてくる、その程度の設計である。コンセプトが「新しいスタンダード」なのだから、この噛み合い方で正しい。腕は、別に落ちていない。
落ちていないのに、下画面だけがどうしても使えない。
ストックしたアイテムは、下画面をタッチして出す。これがやりにくい。というより、そもそもゲーム中に下をぱっと見ること自体が難しい。上でマリオが走っているあいだ、目線は上から離せない。離せないから、ストックがあることを忘れる。忘れたまま被弾する。被弾してから「そういえば入れてあった」と思い出す。20年前もそうだったし、20年経った今日もそうだった。私の下画面活用は、生かせているような、生かせていないような、その中間で20年止まっている。
ただし、これは全否定ではない。ありがたかったものも、はっきりある。「デカコイン」を取れているかどうかと、いまコースのどのあたりを走っているか。この2つが下に出ているのは、素直に助かった。目を落とさなくても、区切りのついた瞬間にちらりと確認すればいい情報だからである。
つまり下画面は、「見に行かなくていい情報」を置く場所としては優秀で、「操作させる場所」としては私に扱いきれなかった。当時の私が褒めていたのは前者で、こじつけていたのは後者だ。20年かけて、ようやくそこが分離した。
ちなみに城のステージの、あのロープ。端のほうから飛ぶとどこまで届くのか、自分の感覚と実際のマリオの挙動がどうしてもリンクしない。こんな端から飛んだって、そんなに飛べないだろう。そう思いながら飛んで、届く。届くのだが、届いた理由が分からないまま次のコースへ行く。指が覚えていると偉そうに書いた3行あとで、これである。
1面の音楽しか、体に残っていない
音楽は近藤浩治、太田あすか、若井淑の3氏。改めて聴くと、最初のステージの曲は完全に体に入っていた。鼻歌が先に出るくらいには入っている。私はゲーム音楽を、重厚さより「引っかかるかどうか」で見るところがあるので、この1曲だけでも十分に元は取れている。
問題はそこから先である。水中の曲、記憶にない。城の曲、もっと記憶にない。ボス戦にいたっては、そもそも短い。短いから引っかかりようがない、という理屈は成立するので、これは納得のいく忘れ方だ。
そして白状すると、ステージ自体もほとんど覚えていない。あれだけ走ったのに、覚えているのは1面の曲と、地下の隠し土管と、下画面が使えなかったという感触だけ。20年分の記憶として残ったのが、感触と音であって、内容ではないというのは、我ながらいい加減だと思う。
あと、当時いちばん強く思ったことを書いておく。マリオ、やたらしゃべる。走るたび跳ぶたびに何か言っている。何を言っているのかは、いまだに分かっていない。マリオが発している程度の英語すら、私は聞き取れない。20年あったのに。
隣に誰もいない、2人プレイ
「マリオVSルイージ」は、ダウンロードプレイに対応している。ソフトが片方にしかなくても、2人で遊べる。仕組みとしては行き届いている。
行き届いているのだが、携帯機になった時点で、2人で遊ぶ機会そのものが激減した。据置機は、電源を入れるとテレビの前に人が集まる構造をしている。携帯機は、集まらなくていい構造をしている。持ち歩けるというのは、そういうことだ。便利さと引き換えに、隣に誰かが座る理由が消える。
子どもの頃は、隣でワーワー言いながらやっていた。うまいだの下手だの、そこ行けだの、そっちじゃないだの。あの、うるさいだけで中身のない声が、たぶんゲーム体験のかなりの部分を占めていた。いま同じソフトを持っても、あれは再生されない。年齢が上がったからでもあるし、機械の形がそう作られているからでもある。
寂しい、と書くと湿るので言い方を変える。私はいま、ダウンロードプレイ対応のソフトを、1人で持っている。対戦相手を募集する予定は、特にない。
総評
★★★★☆
2画面は本当にすごかったのか、という問いに、いま1画面の世界から答えるとこうなる。情報を置く2画面は効いていた。操作させる2画面は、少なくとも私には効いていなかった。当時の私はその2つをまとめて「すごい」と言っていたので、採点としては雑だった。ただし、雑に褒めたおかげで20年後にこうして考え直す材料が残ったのだから、悪い買い物ではない。
推奨アクション: 当時遊んだ人は、まずDS本体が生きているかを確認してほしい。動くなら、1面を1回走るだけでいい。曲が体から出てくるかどうかで、自分が当時どれだけ遊んだかが分かる。当時を知らない人にも勧められる。中古で数百円、コースは1本が短く、隠しゴールを探しはじめると急に長い。大人が細切れの時間で遊ぶソフトとしては、いまも成立している。
そして今日も私は、ストックにキノコを1つ入れたまま、それを1度も使わずに城のステージまで行った。下画面は、今日も私の視界の外にあった。
いま『Newスーパーマリオブラザーズ』を遊ぶには
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